バンドといえば大抵『ロックバンド』のことを連想する人が多数のはず、ただ日本だとバンドと言われるとどうしても違和感があると答える人もいる。中々どうして興味深い件だと思う、バンドと呼ばれる形態はそこまで定型した部分まで形作っていないのが普通だと思うが、どうやら中にはバンド=ロックバンドというイメージが強すぎるあまりに別系統のバンドだろうと考えている人も多くいるようだ。
日本にはロックバンドと呼ばれている以外に『ポップスバンド』という物が存在していると考えられている。個人的に言われても初めて聞いたと言っても過言ではないが、音楽通同士ではそうした考えを強く持っている人が多いようだ。日本では一般的J-popといったところになり、またこの音楽はいわゆる通称たるロックバンドとは一線を画していると考えられているようだ。ポップスとロックだと音楽の系統が違うのは間違いない、ただ日本という文化の中では二つには正直明確な違いといったものが存在しているとは考えられないのが個人的な意見だ。何しろ、『ロックテイストなJ-pop』といった楽曲がウリだったりという物を制作している音楽家もいる。こうした音楽については総体的にJ-popと考えているが、本当にロックとしての性質が微塵にも感じられないかと考えたら疑問を呈するのが正しいのではないか。
明確に違うと考えられていながら、筆者のように違ってはいるがそこまで極端に性質が逸脱しているという見方をしていない人もいると思う。定義が定まっていないとこうした問題が議論として沸き立ち、誰が正解だ、不正解だと罵りあうことになってしまうため微妙に難しい問題といえる。
いろいろな情報を精査してみると、日本という国では結局のところロックというものについて明確な定義を持っていないことを理解する。というより日本に来た時から定義という定義をしなかったために混沌とした音楽文化として広まってしまったというべきかもしれない。ある意見として、
『誰かの為に歌うことを必要とされた瞬間から、その音楽はロック足り得ないものとなり、大きな矛盾を抱えることになる』
という言葉を述べている人がいる。この言葉は現代の日本に根付いているロックという音楽ジャンルに対する警鐘と言えるものだが、それで今更溢れんばかりに広まったロック文化に対して何かしらの影響力があるというようなこともない。そこにあるのはただひたすらいかに日本で築き上げられているロックというものが本質的な意味合いから外れた存在なのかを痛々しく突きつけられる。
だがロックというものは定義など存在しない、先ほどの項目まででそう思っていただろうが、それは『この国に限定した』言い方だ。これでアメリカやイギリスなどのロックミュージックに対して同じ台詞を言ってみたとする、確実にその場にいるロックファンすべてを敵に回す事になる。とはいえ世界でもロックバンドというもの、そしてロックという音楽が昔と変わらずに原形を保っているかと考えたら微妙なところかもしれない。
文化は時代とともに変化する性質も持っており、それによって様々な形態を織り成していく。ロックという音楽が持っている性質を鑑みれば多少なりとも時代に合わせて変化するものの、本質まで覆されるといったことは本来あってはならないことだ。ただ日本の場合はロックという音楽そのものが変質してしまったと言わざるをえない状況にある。
ロックとはそれこそ社会に対しての不満を爆発させた歌を熱唱することにある、それが後に誰かのため、自分ではない他人のために歌を歌おうという意味に変遷すると、確かにロックという音楽の本質からかけ離れてしまうのが分かる。そもそもロックというものが本当はどんなものなのかを理解している人は日本人の、特に音楽文化を心から楽しんでいる若者たちの中でどれほど定義という定義を知っているかが焦点となる。そしてそれを意図しないままロックバンドとして認識したバンドを愛するようになる、 図式としてみれば別段おかしいところはないように見えるがどこか歪なようにも見えてしまう。
誰かのため、一般大衆を対象とした音楽がいわゆるポップスとなり、またそんな歌を熱唱しているバンドは『ポップスバンド』と呼称したほうがいいのだろう。しかしそうなると日本に存在しているバンドはほとんどポップスバンドと呼ぶべきなのかもしれない、本当の意味でロックバンドとして、世界的に見ても個性という個性を発揮している日本輩出のバンドが居るかどうかは正直微妙なところ。日本で育成されて登場した音楽家は日本だからこそ活躍できるきっかけを手に入れた。世界を視野に入れるとなったらそれがどれだけ過酷な道のりなのかを思い知らされる、そういう意味では誰もが知っているよりも通の、地でロックバンドというのを正当に貫いている人々のほうが世界のロック文化に通じやすいという側面も少なからずある。