キワモノ、という言葉はあまり好きではないのだが、どうしても個人的な心情や性格、自分の中で構築されてきた価値観を元にして述べるとするならその言葉を敢えて使用する。ただ人によってはそれが褒め言葉と取られることもある、信じられないという人もいるかもしれないが、逆にそんな人とが違った部分を発揮されることで、勇猛果敢で愚直なまでに王道を貫き通すよりもあえて邪道を地で行く姿勢こそ真の勇者だと感じる、といった独特な基準を持っている人もいる。本当に世は奇っ怪だ、その一言に尽きる。
それでもはっきり言わせてもらうと、やはりどうしても理解という範疇を超えてどう対応したらいいのかわからない瞬間こそ、ある意味茫然自失といった状態に追いやられてしまうものだ。先程から何を話しているのかというと、日本ないし世界各国に存在しているロックバンドと呼ばれる音楽集団を結成している人たちに対しての言葉だ。筆者は個人としてはそれなりに有名な作品であれば耳にする程度、海外であっても日本であっても、さすがにこれを知らないとまずいだろうといったものについてはタイトルこそ分からないものもあるが、楽曲としての価値については一定の知識は備えているつもりだ。しかしそれでも個人的に、本当にこれはロックバンドというものなのだろうかと定義するのを躊躇ってしまう人の存在というのもある。
そもそもロックと呼ばれる音楽のことを考えると確かに根源的な意味合いとして間違ったスタイルではないのかもしれないが、その方向性がさらに捻じ曲げられてしまい、何処に向かっているのかわからないといったバンドというのもある。それらに魅力を感じている人もいる、何故だろうと本音の部分でいつも考えていた。そんなキワモノバンドの何処に惹かれ、どの辺を格好いいと感じるのか、知ろうと思えば知ることはできるが、価値観を共有するのは難しいだろう。それでも理解するだけでも全く違うので、自分なりの考察を加えながら改めてロックバンドという存在について考えてみよう。
こんなバンドがつい最近まで活躍していた、『ゲビル』というバンドが15年近い活動を封印したという話題が以前ネットで流れていた。初見の人、ロックバンドというものについては国民的な人気を獲得している人たちしか知らないという人などからすれば、バンドの存在を知らないという人もいれば、名前だけなら聞いたことがあるだろう。ただこう言っては何だが、彼らの出で立ちはロックバンドというもので固定化するには少々難しい、際立ちすぎた独自性を貫きすぎているという印象があるのを否めない。何せ、バンド名にあるようにその格好がどこぞの不良少年たちが来ているような特攻服がイメージとして使用されているからだ。確かに彼らの格好は十分社会に対して反発している姿勢を示しているように見える、そこまではいいのだがリーダーである白い特攻服を来た男性が、どうしてかは分からないが和太鼓を叩くときに使うバチを手にとってポーズを決めている。
何故だろう、とてもシュールという言葉で語られる出で立ちなのにどうしてこんなにも格好がしまっているといった感覚にとらわれるのは何故か。そういう意味では人を惹きつけるという点を加味すれば十分といえる、だからこそ多くの人が虜にされていたからこそ15年という時間もの間バンド活動を継続していけたのだろう。
その点については十分すぎるぐらいの活動期間といえる、入れ替わり立ち代りの早い音楽業界、芸能界のことを考えれば日向に当たったとしてもその先がその状態を維持し続けるというのは難しい。今でも現役でまっすぐに、常に第一線で活躍し続けているといった人はそこまで多くはない。そういう点を考えるとあまりにメジャーなバンドばかりに焦点を絞らないように、色々な視点で様々なアーティストを好きになっていれば見えてくるものもある、などと達観した感情がモテるかもしれない。
これによりある程度理解は示すことは出来た、とはいえだからといって好きになるか否かは個人の好みとしか言いようがない。ロックバンドを愛好している、あれだけ派手という言葉がこれほど似合うのもロックバンドという定義が合ってこそだ。ゲビルはそんな中で惜しまれつつも活動を封印することになった。追記しておくと、彼らに言わせれば『解散』ではなくあくまで『封印』するだけだと語っている。つまりは、いずれ封印が解き放たれるということもあるのを示唆しているわけだが、まぁその点についてはこのくらいにしておくとしよう。
こういっては何だが、ロックバンドとしては確かに斬新さがあると言える、ただ反社会的な思想を全面的に押し出すのがウリとなっているロックバンドという存在で言うならどことなく、視点が異なっているようにも感じられる。現代社会の状況を鑑みれば恐らく大半の人が社会に不満を持っている人は多いはず、特に若者からすれば今ほど生きにくいと感じる瞬間は多いだろう。すり潰されるように使いまわされる労働力として低賃金で働かされて、褒められることもなく、認められることもない中でただただ機械のような作業が求められる日々に嫌気がさしてしまったとそんな思いに苛まれている人が多いのではないだろうか。
そんな彼らにすれば、日々の鬱憤を晴らす場として、もしくは不満を猛々しくも代弁するようにシャウトする姿に心打たれてファンになる、といったところか。
ゲビルというバンドを紐解いていくと、彼らと思想を同じくしているバンドの存在は必ず出てくる。どんな人達が彼らの音楽そのものを彩っていたのかというと、
このような人々と音楽を通して彼らは自分たちの存在を高めていたようだ。その手の筋にとっては誰もかれも有名どころだ、特に氣志團と電撃ネットワークといえばロックバンドという枠組みの中ではもはや知らない人はいないと言われるくらい超がつく有名人だ。そんな彼らにすれば尊敬すべき存在であり、共に躍進していける存在という点も合ったからこそ、ここまで活動を続けられたといえる。惜しまれつつも歴史の一遍が綴られるのだった。